デザインのひきだし50に掲載されました!
2023.10.06先週はファンシーペーパーの変遷について語りましたが、今回は印刷の歴史がテーマ。学術的に正しい説明は自信がないので、サンコーの沿革を土台に技術革新と競争激化の歴史を語っていきました。
1957年に印刷機メーカーの小森コーポレーションが4色オフセット印刷機を発売したことから分かるように、この頃がオフセット印刷の黎明期と言えます。サンコーはオフセット印刷の中間工程を扱う製版業として創業しましたが、デザイナー、写植屋、版下屋、製版屋、刷版屋、色校正屋、印刷屋という分業構造で印刷物を作っていた時代でした。
この時代に創業した会社が墨田区には多くあります。活版印刷の時代には日本橋近辺に集まっていた印刷業が、オフセット印刷機は大きいために機械が入らず隅田川を渡った墨田区・江東区に工場を構えたのだと思われます。
永らく続いた分業構造がDTPの出現によって一変します。写植屋、版下屋、製版屋の仕事がPCの中で完結するようになり、写植屋・版下屋の多くが廃業することになりました。さらに市場規模が1997年ごろにピークを迎えて市場規模が縮小に向かうことで、厳しい競争の時代に突入します。
CTP(computer to plate)という設備により、データから直接版を出力できるようになり、製版屋と刷版屋がなくなりました。さらにCTPによって印刷の前工程がデジタル化したことで、インクジェットプリンターで校正出力ができるようになり、校正屋の仕事が激減しました。これら技術革新の結果、高度経済成長期のデザイナー、写植屋、版下屋、製版屋、刷版屋、色校正屋、印刷屋という分業構造が崩れ、これまでの分業相手がみな競合になってしまいました。
オフセット印刷に馴染まない小ロット印刷物や、ナンバリング印刷などは活版印刷や軽オフセット印刷が主体でしたが、オンデマンド印刷機がその市場を浸食していきます。活版印刷に至っては、軽オフセット印刷機で打撃を受けていたところにオンデマンド印刷機がとどめを刺した形になりました。
一方で2006年に東條メリーさんが活版工房を設立したように、今までの活版印刷とは異なる価値を見出す人たちが表れてきました。
サンコーはここで業界とは別の道に進みますが(お金が無くて設備投資が出来なかったという説も)、この頃にオフセット印刷機の生産性と品質を持ちながら、1枚から印刷できるデジタル印刷機が登場します。加えて、大型の全判印刷機が小ロットの対応力が広がり、サンコーが保有するような半裁の中型機が活躍する仕事が減りました。これまで隣接する業界との戦いだったのに、オフセット印刷会社同士の戦いになりました。
このように見てくると、2000年頃からの印刷業界は大が小を呑み込む形での競争が続いています。個々の企業が生き残るためには仕方ない事ですが、新しい価値が生まれなければ市場規模は拡大しません。そうなると最後の1社になるまで、この戦いは続くのではないでしょうか。私たちがラジオで紙や印刷の新しい価値を考え続けているのは、そんな危機感が出発点にあります。
カラー写真を全て蛍光色に置き換えたり、4色機で一気に12色印刷してみたり・・・。印刷職人ですら予測出来ない事を実験しています。
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