トップ ゲストトーク 小野幸弘さんの抜き屋的視点 | 紙と印刷とラジオ 第5回

ゲストトーク 小野幸弘さんの抜き屋的視点 | 紙と印刷とラジオ 第5回

公開日 2020.08.05   更新日 2023.06.30

なんと、Twitterフォロワー522名になりました。有難うございます。これからも是非ご視聴ください。そして今回は初の出張、株式会社東北紙業社に来ています。後ろの方から抜き機の音も聞こえてくる中、社長の小野幸弘さんとお話します。

東北紙業社は、先代の社長である善九郎さんが写真台紙屋さんに丁稚奉公をして抜きの工程部分を担当した後抜き屋として独立し設立に至った会社。1930(昭和7)年に墨田区菊川で開業したものの、太平洋戦争で事業は中断。1946(昭和21)年の8月に打ち抜き加工専業の会社として再スタートしました。、その後1989(平成元)年に小野幸弘さんが社長に就任されました。「東北紙業社」という社名は先代が仙台の出身であることから名付けられました。

小野さんの修行時代

大阪の中尾紙工で3年半修行しました。断裁場で職人の断裁を1000枚数えて揃え器で再度揃えるという作業をし、その後トムソン場で型抜き、営業の外回りと各担当を1年ずつ経験したそうです。日曜日は毎週休暇でしたが、朝早くに断裁をして作業が18時以降も残っていると夜中2時3時までスジ押し機を障子を作るために蹴っていることもあり、残業のリズムは不規則だったそう。

昔の工場の職人の雰囲気

断裁機での作業はとても集中力が必要で事故とも隣り合わせの現場です。よそ見をしたり別のことを考えていると枚数を間違えたり、指を機械で切ってしまうところもあったそうです。そのため先輩の職人は厳しい方もいらっしゃって程よい緊張感の中仕事をしていたそうです。

東北紙業社が無かったら日本製のプレス機は生まれなかった?

先代の頃に取引があった凸版印刷から、使わなくなった海外製の最新の抜き機を譲り受けました。先代はその機械を自社で使うのではなく、特許を独占しないことを条件に日本の機械メーカー各社に自由に分解、研究をさせました。この機械を参考にし、より良い機械を国産で作れるようになって欲しいというおもいがあったと言います。その結果、メーカー各社が技術を高め合い、国産抜き機の発展に繋がりました。

03-5608-5741
(お気軽にお問い合わせください|平日 10:00~18:00)

© SANKO